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ミュルス海岸倉庫 - 2012年09月 (1作品)
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ジュリー・テイモア監督の「テンペスト」を観て来ました。いけるかどうか不明だったので前売りも買わず、レディスデーでもないので定価1800円ナリ。これを窓口で、2000円だして大人一人と言ったら、チケット係サンに、なんで2枚出してるかなという表情が一瞬浮かび、はっと気を取り直したように1800円ですと。ポイントカードお持ちですか、ありませんか、はいどうぞv
と、ニコニコされてしまった。
あとでチラシ見たらメンズデー1000円。
あのう、まさかとは思いますが?
メンズというかシニアが多かった。でも全部で10人くらいだった。私が見る映画では、いつものことですが。
シェイクスピアの『テンペスト』の映画化です。主人公プロスペローを、プロスペラという女性にしていますが、これが何の違和感もない。演じるヘレン・ミレンがまた、復讐に凝り固まった冷酷さと、仇が苦しむ姿を見ればもう許そう、という寛容さを表現して何とも上手い。他の俳優たちも結構いい。ミランダちゃんは可愛かったので、最後の無垢なセリフも本気で言っているように見えて好感が持てるし。
アカデミー賞にノミネートされた衣装はブラックが基本で、16世紀風暑苦しいスタイルの人々が、ハワイの溶岩地帯めいたところを歩き回ります。だから確実にこの場に不似合いなのです。そしてこれがまるで野外劇を見ているようで、それでいて斬新なものを見れている感じがして、(そういうとこ、さすがアメリカと思う)個人的には大好きでした。
たとえば、エアリエルはいかにもCGを駆使した画になってましたが、キャリバンは泥メイクだけで俳優が頑張ってます。このキャリバンが酔っ払って、「もう薪ひろいなんかしない、バン、バン、キャキャリバン」と、薪を両手に怒鳴るように歌うシーン。実はどうってことないシーンなのかも知れないですが、私はちょっと鳥肌が立ちました。「魚モンスター」よばわりされているキャリバンが、一面火星かどこかのような奇妙な風景の中で、酔っ払って千鳥足に近い。そして怒鳴っているセリフが古めかしいシェイクスピア英語であるというところ、見ていて非現実感がものすごかったのです。
そしてこのキャリバンは、原作通り、2人のろくでなしを神とあがめてプロスペラ暗殺を企む悪党なのですが、最後の最後にプロスペラがぼそっと、自分はもう島を離れてそれからミラノに帰って、あとは墓に入ることでも考えて…というのを、なんだか泣きそうな、責めるような目つきでじっと見ているのです。罰を与えるプロスペラがいなくなり、自分がこの島の主に戻れるという、喜んでいいはずのときに、彼はちょっと切なく見える後姿で退場するわけです。
ミランダは無垢そのもののようでいて、チェスの場面ではズルしても見逃すという、貴族らしい狡猾さをのぞかせるのですが、キャリバンは全面が悪のようでいて、一部に、この作中の誰よりも純粋な精神を見せるところがあります。(それが、顔の一部だけ白いメイクにも出ているのかも)ひょっとして、キャリバンもある意味、プロスペラの(不肖の)息子のような存在だったのか?と、ちょっと思いました。プロスペロー女性形だし、キャリバンが言及するのはいつも母親シコラクスのことだと踏まえれば、そこで母性が見えていても(逆に)納得いきますしね。
エアリエルはそのへんあっさりしてました。というか、このエアリエル、真っ白で全裸。幻想的というよりはむしろ変態のようでした。
最後の場面もシンプルです。プロスペラが杖を崖から投げ落とすと、海には落ちず岩に当たって粉々に砕け散る。そしてエンディングの歌がラストスピーチになっている。画面では海に数々の本が沈んでいく。歌が不思議な旋律で、お世辞にもヒーリングとは感じませんでしたが、歌詞はクッキリ聴けて印象深いです。
さてこの映画を薦めるとしたら、シェイクスピアのこの戯曲が好きな人。舞台劇特有の、言い回しの不自然さになじめる人。
あとは、現代美術系が好きな人もいかがでしょう。これはこの映画の演出を見ていて感じたことですが、シェイクスピアは史劇から始めて、人々のリアリティを描いていたのが具象画であったとしたら、この最後の作品は、一方でわけわからん石鹸の泡とバカにされ、また一方では印象派にインスピレーションを与えたあのターナーの絵のように、ストーリーをイメージにとりこませた実験だったのかも知れない!――なーんてね。
アカデミー賞にノミネートされた衣装はブラックが基本で、16世紀風暑苦しいスタイルの人々が、ハワイの溶岩地帯めいたところを歩き回ります。だから確実にこの場に不似合いなのです。そしてこれがまるで野外劇を見ているようで、それでいて斬新なものを見れている感じがして、(そういうとこ、さすがアメリカと思う)個人的には大好きでした。
たとえば、エアリエルはいかにもCGを駆使した画になってましたが、キャリバンは泥メイクだけで俳優が頑張ってます。このキャリバンが酔っ払って、「もう薪ひろいなんかしない、バン、バン、キャキャリバン」と、薪を両手に怒鳴るように歌うシーン。実はどうってことないシーンなのかも知れないですが、私はちょっと鳥肌が立ちました。「魚モンスター」よばわりされているキャリバンが、一面火星かどこかのような奇妙な風景の中で、酔っ払って千鳥足に近い。そして怒鳴っているセリフが古めかしいシェイクスピア英語であるというところ、見ていて非現実感がものすごかったのです。
そしてこのキャリバンは、原作通り、2人のろくでなしを神とあがめてプロスペラ暗殺を企む悪党なのですが、最後の最後にプロスペラがぼそっと、自分はもう島を離れてそれからミラノに帰って、あとは墓に入ることでも考えて…というのを、なんだか泣きそうな、責めるような目つきでじっと見ているのです。罰を与えるプロスペラがいなくなり、自分がこの島の主に戻れるという、喜んでいいはずのときに、彼はちょっと切なく見える後姿で退場するわけです。
ミランダは無垢そのもののようでいて、チェスの場面ではズルしても見逃すという、貴族らしい狡猾さをのぞかせるのですが、キャリバンは全面が悪のようでいて、一部に、この作中の誰よりも純粋な精神を見せるところがあります。(それが、顔の一部だけ白いメイクにも出ているのかも)ひょっとして、キャリバンもある意味、プロスペラの(不肖の)息子のような存在だったのか?と、ちょっと思いました。プロスペロー女性形だし、キャリバンが言及するのはいつも母親シコラクスのことだと踏まえれば、そこで母性が見えていても(逆に)納得いきますしね。
エアリエルはそのへんあっさりしてました。というか、このエアリエル、真っ白で全裸。幻想的というよりはむしろ変態のようでした。
最後の場面もシンプルです。プロスペラが杖を崖から投げ落とすと、海には落ちず岩に当たって粉々に砕け散る。そしてエンディングの歌がラストスピーチになっている。画面では海に数々の本が沈んでいく。歌が不思議な旋律で、お世辞にもヒーリングとは感じませんでしたが、歌詞はクッキリ聴けて印象深いです。
さてこの映画を薦めるとしたら、シェイクスピアのこの戯曲が好きな人。舞台劇特有の、言い回しの不自然さになじめる人。
あとは、現代美術系が好きな人もいかがでしょう。これはこの映画の演出を見ていて感じたことですが、シェイクスピアは史劇から始めて、人々のリアリティを描いていたのが具象画であったとしたら、この最後の作品は、一方でわけわからん石鹸の泡とバカにされ、また一方では印象派にインスピレーションを与えたあのターナーの絵のように、ストーリーをイメージにとりこませた実験だったのかも知れない!――なーんてね。
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